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粉骨コラム

墓じまい:檀家制度から供養多様化の時代へ

2022年07月27日 粉骨コラム



日本人のお墓は、天皇や豪族などの場合は古代からつくられ、天皇陵などのように古墳として知られるものは全国に多数存在します。


現代のお墓の原型ができたのは江戸時代に入ってからで檀家制度が確立されてから後といわれています。


この檀家制度は、江戸幕府の宗教統制や戸籍管理などの役割を担い、すべての家は特定の寺院に所属しなければなりませんでした。


そのかわり寺院は檀家の葬祭や供養を専門に行なうことを許され、檀家は寺院にお金(お布施)を払う事を義務とされてきました。

こうして寺院の力はだんだん強くなり、所属する寺院の証明がなければ旅行や転居もできなかった程です。


明治時代になって信教の自由だけは認められましたが、逆に家制度が重んじられ家のお墓がある檀那寺と檀家の関係はますます強固になっていきます・・・


明治時代後半になると、所属するお寺(檀那寺)の宗派がそれぞれの家の宗派となり、檀家は檀那寺にお墓をつくりお墓は家長が受け継ぐという「家制度」の基礎が出来ました。


家制度の慣習はその後大正時代を経て昭和に入り、太平洋戦争の敗戦でこの慣習やしきたりは終わるかと思われましたが、すべてが変わっても慣習だけは変わらずに残りました。


この長く続いた強固な家制度の慣習を崩すのが、ゆとり世代が持つ「コストパフォーマンス」という新しい価値観です。

新しい価値観の波はまず、しきたりや世間体などを気にしない「家族葬」や「一日葬」そして「直葬」という葬儀に顕著に現れ、今まさにお墓にも押し寄せています。


江戸時代から長く続いたお寺の石のお墓は、公営霊園や納骨堂へと形を変え、最近では永代供養墓や樹木葬、海洋葬などが主流になっています。


そして今まさに、新しいお墓の価値観は、手元供養のお墓=宅墓(自宅墓)や自然葬・散骨へのビッグウエーブとなって、もう、すぐそこまで来ています。


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